2012年7月11日水曜日

Leo Reisman

1897年生。1961年没。ボストン出身。

幼い頃からバイオリンを学び、1919年に自身のバンドを結成。20年代から30年代の活動期に80以上のヒットソングを残し、Jerome Kernには"The String Quartet of Dance Bands" と称された。

初のレコーディングはコロンビアに残した21年一月の"Love Bird"。
23年から29年まではコロンビア、29年から33年まではビクター、33年から37年まではブランズウィック、その後またビクターと契約する。29年から33年のビクター期には他のバンドによって録音の残されていないブロードウェイの歌曲をいくつか録音している。

作曲家やブロードウェイの出演者を歌手として取り上げることが多くHarold Arlen, Fred Astaire, Clifton Webb, Arthur Schwartzらと録音を残している。

チャート一位のヒットにコール・ポーターによる "Night and Day"(1933)、コン・コンラッドによる"The Continental" (1934)、アーヴィン・バーリンの"Cheek to Cheek" (1935)等。

ライズマンのバンドはあくまでダンスバンドであり、彼自身ジャズをあまり好んでいなかったが、エリントン楽団に在籍していたBubber Mileyの参加していた時期には「ホット」な演奏を残した。ピアニストでバンドリーダーのEddy Duchin も彼のバンドに在籍した。

  

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