2012年6月11日月曜日

Arthur Pryor

1870年生。1942年没。ミズーリ州セント・ジョセフ出身。
幼少期より演奏を始め、11歳の頃までバルブ・トロンボーンの演奏を、15歳になるまでにはスライド・トロンボーンをマスターし父の率いるバンドで演奏していた。神童として知られるようになる。
コロラド州デンバーのStanley Opera Companyを経て 1982年、 John Philip Sousaのバンドに加入する。
22歳の頃ソロを任されるようになり12年間のあいだに10000にも上る数のソロを演奏した。1895年から1903年まではアシスタントコンダクターを務めている。
バンドを去った彼は自身のバンドを結成し、1903年ニューヨークのMajestic Theatreで初演する。1909年までツアーを繰り返し、ニュージャージー州アズベリーパークに落ち着く。
この頃彼はVictor Talking Machine Companyのコンダクター、アレンジャーも務めるようになる。
1933年に引退した後にニュージャージーで民主党議員となる。



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