2012年5月21日月曜日

Juan Tizol

1900年生。1984年没。プエルトリコ、ベガ・バーヤ?(Bega Baja)出身。
幼少時より楽器の演奏を始め最初に手にした楽器はバイオリンであったが後にすぐバルブ・トロンボーンの演奏に切り替える。
音楽的教育は市民オーケストラを率いた叔父による。叔父のバンドの元でオペラ、バレエ、ダンスバンドでの演奏機会を得る。
20年に加入したバンドはアメリカへ遠征に赴き、その後続けてアメリカで音楽活動を行うようになる。観光客向けのショーや無声映画の伴奏が主な仕事内容だった。時折与えられたダンスバンドでの演奏を通じて、彼はデューク・エリントンと出会う。
トランペット奏者 Arthur Whetsolの推薦を得て、1929年夏、彼はエリントンのバンドに加入する。同時期トロンボーンセクションに在籍したのはJoe "Tricky Sam" Nanton である。
彼はエリントンのバンドに中南米的要素をおおくもたらした。"Moonlight Fiesta", "Jubilesta", "Conga Brava"などが挙げられる。また、彼の作曲した"Caravan" (1936) 及び "Perdido" (1941)は現在でも多くのミュージシャンによって演奏されている。
44年にはエリントンのバンドを去り、Harry Jamesのバンドに加入した。


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