17歳の時ニューヨークへと移ったが、トロンボーンの盗難にあってからはチューバを演奏した。
29年、チューバ奏者としてFletcher Henderson楽団に加入する。30年代初期には同楽団で卓越したチューバ演奏の技術をレコードに残している。ジャズにおいてチューバが使用されなくなるに伴い彼はベーシストへと転向した。
33年一度ヘンダーソン楽団を去ってから後はChick Webb やLucky Millinderと共演し、35年には自身のカルテットも結成した。
37年にはOnyx Club Boysを編成。同バンドのメンバーによってVocalion Records にはBillie Holiday and her Orchestra名義での録音も残された。
Kirbyが目指したのはソフトでクラシック的な現在チェンバー・ジャズと呼ばれるものだった。
38年から41年まで彼の人気は確たるものであったが、第二次世界大戦によりメンバーを失う。なんとかバンドを続けようとした彼はDizzy Gillespie, Benny Carter, Ben Webster, Clyde Hart, Budd Johnson, and Zutty Singletonなど著名なアーティストとも演奏した。
演奏家としての地位を失うにつれて彼はアルコールに依存するようになり糖尿病にもなった。戦後 Sarah Vaughanをボーカルに迎えてのセクステット再編、50年カーネギーホールでの演奏などを行ったがいずれも以前ほどの人気を博す事はできなかった。
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