2012年10月20日土曜日

Harry Reser

1896年生。1965年没。オハイオ州ピクア出身。

2歳の頃両親とオハイオ州デイトンに移り住む。この頃彼が既に非常に優れた音感を持っていることが分かり、両親は未だ幼かったHarryに特注のギターを与える。
8歳の頃にはステージで演奏するようになり、この頃ピアノと音楽理論の学習を始める。9歳の頃からはLuis HeinとAlbert Fischerの元でピアノに加えバイオリンとチェロの指導を受けるようになる。14歳になり、デイトンのSteele High Schoolに進学した彼は音楽を生涯の仕事として心に決めるようになる。

20歳を過ぎた頃ダンスバンドでのバンジョーの役割に目をつけバンジョーの演奏を始める。1920年にはPaul Gossの率いるダンスバンドで演奏した。この頃よりバンジョーでの演奏機会が多くなったが、ニューヨーク州バッファローに活動の拠点を移してからは競馬場での第一バイオリン奏者として生活し、その傍らバンジョーの演奏を続けた。

20年の年末いよいよニューヨーク市に活動の拠点を移す。Ben Selvin, Bennie Krueger, Sam Lanin, Nathan Glantz, Mike Markelらのバンドで演奏するようになる。レコーディングも行うようになった彼は1922年、自身のバンドを結成する。すぐにレコードレーベル、Okehとの契約を結びOkeh Syncopatorsとして活動するようになるが、Paul Whitemanからの依頼を受けMike Pingitorに代わりWhiteman楽団の英国ツアーに参加する。

1925年からはNBCの主宰したClicquot Club Eskimo Orchestraのリーダーを務めその名を広く知られるようになる。毎週の演奏は1935年まで継続した。同時期、ボーカルにTom Stacksを擁したHarry Reser and His Six Jumping Jacksのリーダーも務め、 Spike Jones and His City Slickersのようなコメディ・バンドに先鞭をつけた。


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